自分の会社なのに、事務所の鍵がどこにあるのか分からない。
電気のスイッチの場所も、コピー機のスイッチの入れ方も分からない。ネットで使っているサービスのパスワードも、分からないものがいくつもある。
恥ずかしい話ですが、会社を閉めることになったとき、私はそんな状態でした。
15年、社長をやってきました。その間に、多くの仕事を社員に任せていました。ところが、会社を閉めると伝えた後、スタッフがいなくなり、それまで自分が触らずに済んでいた仕事が回ってきたのです。
不動産業に25年以上携わり、仲介会社を15年経営してきた和泉利明です。会社経営は通算20年になります。現在は、不動産会社の経営者を支援する立場で、経営や営業の実務を支援しています。
社長として動けていた自分は、どれだけ社員に支えられていたのか。
会社を閉めた経験から、改めて考えたいのは、そのことです。
目次
弁護士から求められても、書類を出せない
倒産の手続きを進める中で、弁護士とのやり取りは続きます。この書類はどこにあるのか。あれはどうなっているのか。確認されることも、提出を求められるものも、いくつもありました。
ところが、すぐには出せないのです。
契約書なら、まず保管場所を探すところから始まる。担当していたスタッフに連絡しても、つながらないことがありました。分かる人は数名しかいない。その人たちに聞けないと、そこで止まってしまう。
普段は、担当者に声をかければ済んでいたことです。
でも、その前提がなくなっていました。
書類を出す仕事の前に、その書類がどこにあるのかを調べる仕事がある。
一件なら小さなことかもしれません。それが何度も起きるので、なかなか前へ進めない。自分の会社のことなのに、すぐに答えられない。そのことも、私にはこたえました。
当然ですが、お金の流れについて、説明するシーンが多発します。どういう形でお金が動いていたのか。その中身を自分で確かめ、一つずつ紐解いていく。これも、本当に大変でした。
書類が見つかれば、それで終わりというわけでもありません。そこに何が書かれ、会社として何をしてきたのか。説明できるところまで理解しなければならなかったのです。
事務所を閉める。自分も引っ越す
必要だったのは、書類の提出だけではありません。事務所を、どのタイミングで閉めるのか。自分自身は、どこへ引っ越すのか。会社の整理をしながら、自分の暮らしも動かさなければなりませんでした。
弁護士とのやり取り、情報の確認、事務所のこと、引っ越しのこと。どれか一つが終わるまで、ほかが待ってくれるわけではありません。
会社を閉めるという決断の後にも、それを実際に終えるための仕事が残っていました。
大きな決断をしたら一区切り、とはいかなかった。むしろ、自分が今まで把握していなかった細かな実務に、一つずつ向き合うことになりました。
社長の時間を、誰がつくっていたのか
私は15年、社長として仕事をしていました。それなのに、いざ自分で会社の実務を動かそうとすると、身近なことさえ分からなかった。
この落差を考えると、「社員に仕事を任せていた」という言葉だけでは、足りない気がするのです。
任せた仕事を引き受けてくれる人がいたから、私は、その仕事を自分でやらずに済んでいた。そこで使わずに済んだ時間を、社長としての仕事に使えていたのだと思います。
例えば、社長が商談に出かける。その間にも、会社には問い合わせが入り、確認しなければならない書類があり、支払いの予定があります。そこを誰かが動かしてくれるから、目の前のお客様との話に集中できる。
商談がまとまった後も同じです。約束した内容を社内へ伝え、書類をそろえ、実際の仕事を進め、請求や入金の確認までつなげていく。社長が次の商談へ向かえるのは、その続きを引き受ける人がいるからです。
そう考えると、社長が取ってきた仕事の中にも、社員の力が入っていますよね。売上が決まった場面だけを見ていては、その前後を支えている仕事が見えにくい。
私が社長の仕事に使えていた時間は、社員がつくってくれていた時間でもあった。
会社を閉めた後、私は、調べるところから始めなければならない仕事をいくつも抱えました。自分の手がそこで止まって初めて、以前は止まらずに済んでいた理由が見えてきたのです。
何も起きなかった一日にも、誰かの仕事がある
もう一つ、経営者には見えにくい仕事があると思います。
例えば、提出された書類に不足があって、担当者が先に気づいてそろえていた。予定していた入金を確認し、必要な連絡を入れていた。お客様との日程が合わず、何度か調整して、予定どおり進むようにしていた。
社長への報告は、手続きが終わりました、入金されました、予定が決まりました、で済むかもしれません。でも、その短い報告の前には、人が動いた時間があります。
担当者が途中で気づいて直したことは、社長のところに問題として上がってこないこともあると思います。
それは、会社としては助かることです。ただ、助かっているからこそ、何に助けられているのかが分かりにくくなる。
問題が起きたときには担当者を見るのに、
無事に進んだときには、その人の仕事が見えていない。
経営者として、そこは気をつけたいところです。
ミスがあれば、何をしていたのかと聞く。一方で、何事もなく終われば、普通にやればできる仕事だった、と受け取ってしまう。それでは、先回りして動いている社員の仕事を、ずいぶん小さく見積もってしまうと思います。
私自身、会社が動いている間は、自分が触らなくても使えるもの、頼めば出てくるものがありました。それを実際に自分で扱うことになって、分かっていないことの多さに直面したのです。
社長の約束を、社員が形にしてくれている
例えば、社長がお客様に「明日までに見積書をお送りします」と約束したとします。
その見積書を作る社員は、必要な作業や費用を確認し、金額を計算する。条件が分からないところは、社長に聞く。そうして内容をそろえ、約束した日までにお客様へ届けます。
お客様から見れば、社長が約束どおりに対応してくれた、という仕事です。その約束を守れたのは、社員が具体的な作業を引き受けてくれたからでもあります。
社長の「できます」を、実際にできる形にしてくれる人がいる。
その社員から「この金額で出してよいですか」と確認が来たら、社長が答える。そこを決めずに待たせてしまえば、社員は見積書を仕上げられません。
自分がお客様とした約束を守ろうとしてくれているのですから、必要な判断には、こちらもきちんと応えたい。
仕事を任せた後も、社員が進められるように、自分の役割を果たす。
社長が外で約束できるのは、社内でその続きを引き受けてくれる人がいるから。そのことを、仕事を頼んだ後にも忘れたくないのです。
一緒に働けるうちに、見ておきたいこと
倒産が怖い。そう感じる経営者は多いと思います。私も、経験してよかったとは思っていません。関わってくださった方に、迷惑をかけました。
それでも、会社を終えた側から伝えられることはあると思っています。
私が一人で抱えることになった仕事を、会社が動いていた頃には、誰かが担ってくれていました。そこから逆算して考えると、目を向けたいのは、今、自分がやらずに済んでいる仕事です。
誰が引き受けてくれているのか。
どんな確認や調整をしているのか。
その人が困ったとき、自分は何を引き受けているのか。
社員と一緒に働いている間に、聞くことができます。仕事を見せてもらうことも、頼み方を変えることも、負担のかかり方を見直すこともできます。
私は、会社を閉める段階で、自分が分かっていないことの多さに向き合いました。
15年社長をしていた私が、コピー機の動かし方すら分からなかった。恥ずかしい話ですが、そこまで任せられる相手がいて、私は社長の仕事をしていたのです。
自分が社長として動けている、その時間をつくってくれている人がいる。
その人たちと、今日も一緒に仕事ができる。だからこそ、任せた仕事が終わったかを聞くときに、どうやって進めてくれたのかまで、少し聞いてみてほしいのです。
そこから、社長として自分がやるべき仕事も、もう少し具体的に見えてくると思います。
和泉に相談
社員に任せる仕事は増えたけれど、誰にどんな負担がかかっているかは見えにくい。社員からの相談に、どう関わればよいか迷う。
実際の仕事をもとに、社員が担っていることと、社長が判断する必要のあることを一緒に考えます。経営と、会社を終える実務の両方を経験した立場から、経営者向けの個別支援を通じてお話を伺います。
